4月15日を忘れたくないから
ジャニーズっぽくないあなたが好きだった。
ジャニーズ嫌いだった私が、部屋にポスターを飾り、写真や雑誌を並べる。
クラスメイト全員の前で関ジャニ∞が、渋谷すばるが好きだと公言した。
周りがキラキラした衣装で歌って踊るのに対し、TシャツGパンで赤いコードを手で握って歌う。
ジャニーズらしくないから、型にはまらないから、決してブレないから、自分を貫いているから最高に輝いて見えた。
自分からセンターに立っているわけではないのに、自然とセンターにいて、周りから愛される存在。
そんな人に初めて出会った。
そして、細くて今にも消えてしまいそうな体から、溢れる熱い歌声。
その時その時で変わる歌い方。
少し癖のある、大好きな歌。
歌でこんなにたくさんの人を魅了することができる人がいるんだ、そう思った。
私の知っている渋谷さんはギラギラしていて、ほとんどファンサをしない。
だから、ファンサを貰おうとはこれっぽっちも思っていなかった。でも、初めて見に行ったコンサートではニコニコして手を振り、はじめは自分の目を疑った。
ソロコンを経て、一人で頑張ってみたい。そんな気持ちが芽生え始めて、渋谷さんの中では事務所をやめるという考えができていて。
だからこそ、残りの2年間最後かもしれないと思い彼がニコニコして手を振ってくれたのかもしれない。
自らアイドルと宣言し、カメラに向かってキメ顔をしたり、ウインクをしたりするようになってた。
私はソロコンに行くことができなかった。
味園ユニバースを映画館で見ることができなかった。
エイトレンジャーでレッドが主演になった事を喜ぶことができなかった。
私の周りにいる渋谷さんのファンとはこの時、この瞬間の気持ちを共有することはできない。
でも、渋谷さんを好きということに関しては変わりない。
好きな時間が長くても、短くても、好きということに変わりはないから。
もちろん、なかなか売れなかった時、CDを買って直接貢献できなかった。
CDデビューが決まりドキドキしながら、浪速いろは節を手に取ることもできなかった。
何回ももっと早く生まれてたら、もっと早く出会ったらと思った。
でも、結局は出会えてよかった。
関ジャニ∞に渋谷さんがいてくれてよかった。
その思いただ一つ。
私にとって関ジャニ∞は生きがいであり、人生の全て。
関ジャニ∞の会話が好きだった。
関西弁を喋りたかった。
だから、少しでも近づきたくて、
東京に行く友人ばかりの中1人、関西に引っ越した。
だから、ジャニ勉の番組協力にも行けた。
でも、それが最後の渋谷さんになった。
私はまだファンになって2年しか経っていないけれど、気づいたら好きなっていた。どこが好きとは言葉では言い表せない。
渋谷さんの全てが私の憧れだった。
私は渋谷すばるが好きで、赤色の服が着たくて、渋谷さんのうちわを持ちたくて。
でも、今後それを快く思わない方も少なからずいるかもしれない。
だから、参加できることになったら、赤い服は着ずうちわは持たずコンサートに参加しようと思った。
本当はコンサートに参加すること自体ためらった。でも、「一緒に6人の決意を見に行こ。行きたいと思ってる気持ちが少しでもあるなら行くべき。」という言葉をかけられたから、応募しようと思う。
そして、渋谷さんのいるコンサートを見せてあげることができなかった妹たちも連れて行こうと思う。
行かないという選択肢もあったが、今年行かなかったらこのまま見に行けなくなってしまいそうで怖かった。
だからこそ、今年行かなくちゃいけない。再スタートを見届けたいと思った。
私はこれからも、関ジャニ∞を応援し続ける。
渋谷さんのファンとして。
8人であったことを知らない人がいるように、いつか渋谷さんのいない6人の関ジャニ∞を普通だと思う子たちが出てくる。
それが辛い。
関ジャニ∞を好きで、いつまでも渋谷さんのファンでいたい。
他のメンバーのうちわを持つことはたぶん私には無理。
だって、私を支えてきたのは紛れもなく関ジャニ∞の渋谷すばるだから。
私がここで書いたことで何かが変わるわけでもないけれど、
ニュースのコメンテーターの「残された6人は、、」という言葉。
残された6人なんて言わないでほしかった。家族であり、友人であり、戦友である大切な仲間を送った6人だから。
そして、4月15日まで渋谷さんから独立したいと申し入れがあった事や、話し合いをしていた事を一切感じさせず、ほとんどのeighterに「またまたぁ、嘘やん」と思わせた彼らはやはりプロなんだなと改めて実感した。
記者会見をみたクラスメイトや先生たちは、満身創痍でボロボロだった私を暖かく迎えてくれて、黙って話を聞いてくれて、抱きしめてくれた。
就職活動真っ只中で私は頑張る気力を失った。
渋谷さんとほぼ同い年の担任から「大好きな人が頑張ろうとしてる時、自分も頑張らなきゃいけないなんてこんなタイミングないよ。
大好きな人と頑張れるなんて最高じゃん。」って言葉を聞いて、私は少し前向きになれた気がした。
渋谷さんと関ジャニ∞が前を向いているのに横山さんが言っていたように「いつまでも下を向いていられない」
と思った。
ここまで書いてきたことは所詮綺麗事でしかない。
本当はやめて欲しくない。休業して留学して欲しかった。10年後も20年後もeighterと呼んで欲しかった。
7人でステージに立ち続けて欲しかった。
でも、メンバーが必死で引き止めてくれた。無力なファンができなかった、して欲しかった事を全てしてくれた。
あの記者会見には関ジャニ∞の全てが詰まっていたと思う。
19年生きてきて、一番大きな穴が空いてしまった。
まだ19年。されど19年。
この心に空いてしまった穴は埋まらない。だから、今は落ち込む。もう少ししたら、ほんの少しだけ起き上がれそうだから。少しずつ少しずつ前を向いていけたらいいな。
私は渋谷さんがさらに音楽を追求して、全身全霊で歌っている姿を見れる日を願って、日本から応援しています。
そして、関ジャニ∞の1からのスタートの手助けになれるようファンとしてこれからも追い続けます。
p.s 渋谷さんへ
本当は関ジャニ∞でいて欲しかった。
でも、あなたの決めた事を拒否する権利は私にはないから、今からできる事をします。
20歳になったら10年パスポートをとります。いつでも海外に行けるように英語の勉強も始めます。
あなたが新しい道に進む決断をした日に目を腫らして泣いた19歳が、ちゃんと大人になってあなたに会いに行ける日を心待ちにしています。
ありがとう大好きな人。
これからも大好きな人。
4月15日を忘れたくないから
ジャニーズっぽくないあなたが好きだった。
ジャニーズ嫌いだった私が、部屋にポスターを飾り、写真や雑誌を並べる。
クラスメイト全員の前で関ジャニ∞が、渋谷すばるが好きだと公言した。
周りがキラキラした衣装で歌って踊るのに対し、TシャツGパンで赤いコードを手で握って歌う。
ジャニーズらしくないから、型にはまらないから、決してブレないから、自分を貫いているから最高に輝いて見えた。
自分からセンターに立っているわけではないのに、自然とセンターにいて、周りから愛される存在。
そんな人に初めて出会った。
そして、細くて今にも消えてしまいそうな体から、溢れる熱い歌声。
その時その時で変わる歌い方。
少し癖のある、大好きな歌。
歌でこんなにたくさんの人を魅了することができる人がいるんだ、そう思った。
私の知っている渋谷さんはギラギラしていて、ほとんどファンサをしない。
だから、ファンサを貰おうとはこれっぽっちも思っていなかった。でも、初めて見に行ったコンサートではニコニコして手を振り、はじめは自分の目を疑った。
ソロコンを経て、一人で頑張ってみたい。そんな気持ちが芽生え始めて、渋谷さんの中では事務所をやめるという考えができていて。
だからこそ、残りの2年間ファンサをしなかった最後かもしれないと思い彼がニコニコして手を振ってくれたのかもしれないとまで思った。
私はソロコンに行くことができなかった。
味園ユニバースを映画館で見ることができなかった。
エイトレンジャーでレッドが主演になった事を喜ぶことができなかった。
私の周りにいる渋谷さんのファンとはこの時、この瞬間の気持ちを共有することはできない。
でも、渋谷さんを好きということに関してはファン歴は関係ないと思う。
長くても、短くても、好きということに変わりはないから。
もちろん、なかなか売れなかった時、CDを買って直接貢献できなかった。
CDデビューが決まりドキドキしながら浪速いろは節を手に取ることもできなかった。
何回ももっと早く生まれてたら、もっと早く出会ったらと思った。
でも、結局は出会えてよかった。
関ジャニ∞に渋谷さんがいてくれてよかった。
その思いただ一つ。
私にとって関ジャニ∞は生きがいであり、人生の全て。
関ジャニ∞の会話が好きだった。
関西弁を喋りたかった。
だから、少しでも近づきたくて、
東京に行く友人ばかりの中1人、関西に引っ越した。
だから、ジャニ勉の番組協力にも行けた。
でも、それが最後の渋谷さんになった。
私はまだファンになって2年しか経っていないけれど、気づいたら好きなっていた。どこが好きとは言葉では言い表せない。
渋谷さんの全てが私の憧れだった。
私は渋谷すばるが好きで、赤色の服が着たくて、渋谷さんのうちわを持ちたくて。
でも、今後それを快く思わない方も少なからずいるかもしれない。
だから、参加できることになったら、赤い服は着ずうちわは持たずコンサートに参加しようと思った。
本当はコンサートに参加すること自体ためらった。でも、「一緒に6人の決意を見に行こ。行きたいと思ってる気持ちが少しでもあるなら行くべき。」という言葉をかけられたから、応募しようと思う。
そして、渋谷さんのいるコンサートを見せてあげることができなかった妹たちも連れて行こうと思う。
行かないという選択肢もあったが、今年行かなかったらこのまま見に行けなくなってしまいそうで怖かった。
だからこそ、今年行かなくちゃいけない。再スタートを見届けたいと思った。
私はこれからも、関ジャニ∞を応援し続ける。
渋谷さんのファンとして。
8人であったことを知らない人がいるように、いつか渋谷さんのいない6人の関ジャニ∞を普通だと思う子たちが出てくる。
それが辛い。
関ジャニ∞を好きで、いつまでも渋谷さんのファンでいたい。
他のメンバーのうちわを持つことはたぶん私には無理。
だって、私を支えてきたのは紛れもなく関ジャニ∞の渋谷すばるだから。
私がここで書いたことで何かが変わるわけでもないけれど、
ニュースのコメンテーターの「残された6人は、、」という言葉。
残された6人なんて言わないでほしかった。家族であり、友人であり、戦友である大切な仲間を送った6人だから。
そして、4月15日まで渋谷さんから独立したいと申し入れがあった事や、話し合いをしていた事を一切感じさせず、ほとんどのeighterに「またまたぁ、嘘やん」と思わせた彼らはやはりプロなんだなと改めて実感した。
記者会見をみたクラスメイトや先生たちは、満身創痍でボロボロだった私を暖かく迎えてくれて、黙って話を聞いてくれて、抱きしめてくれた。
就職活動真っ只中で私は頑張る気力を失った。
渋谷さんとほぼ同い年の担任から「大好きな人が頑張ろうとしてる時、自分も頑張らなきゃいけないなんてこんなタイミングないよ。
大好きな人と頑張れるなんて最高じゃん。」って言葉を聞いて、私は少し前向きになれた気がした。
渋谷さんと関ジャニ∞が前を向いているのに横山さんが言っていたように「いつまでも下を向いていられない」
と思った。
ここまで書いてきたことは所詮綺麗事でしかない。
本当はやめて欲しくない。休業して留学して欲しかった。10年後も20年後もeighterと呼んで欲しかった。
7人でステージに立ち続けて欲しかった。
でも、メンバーが必死で引き止めてくれた。無力なファンができなかった、して欲しかった事を全てしてくれた。
あの記者会見には関ジャニ∞の全てが詰まっていたと思う。
19年生きてきて、一番大きな穴が空いてしまった。
まだ19年。されど19年。
この心に空いてしまった穴は埋まらない。だから、今は落ち込む。もう少ししたら、ほんの少しだけ起き上がれそうだから。少しずつ少しずつ前を向いていけたらいいな。
私は渋谷さんがさらに音楽を追求して、全身全霊で歌っている姿を見れる日を願って、日本から応援しています。
そして、関ジャニ∞の1からのスタートの手助けになれるようファンとしてこれからも追い続けます。
p.s 渋谷さんへ
本当は関ジャニ∞でいて欲しかった。
でも、あなたの決めた事を拒否する権利は私にはないから、今からできる事をします。
20歳になったら10年パスポートをとります。いつでも海外に行けるように英語の勉強も始めます。
あなたが新しい道に進む決断をした日に目を腫らして泣いた19歳が、ちゃんと大人になってあなたに会いに行ける日を心待ちにしています。
ありがとう大好きな人。
これからも大好きな人。